2024年 04月 30日
さてここんとこずっと思っていること
まあ、あほな話カテゴリに入れて、笑っておしまいにしたいんだけれども。
いくらか、人間関係で考え込むことが出てきて。もう6、7年、それ以前と環境が変わっていて、情けない話ながらもう若くないなあとも思うことも感じるわけで。
一般的な話として思うことだけれども、今の世の中、管理権限っていう事柄があるわけでして、例えば会社のシステム部署なんかである種の管理権限を与えられるとします。それは社員の個人情報とかがある程度把握できると、住所や電話番号、家族の名前、更にその人の実家の住所とか親兄弟の名前だとか戸籍に関する情報の云々云々。
それを知る立場にいたとして、悪用せずに生きている人が案外少ないのがこのごろの世の中ではないかと思うわけです。
どういうことか。
私はこれを「東京の田舎化」と揶揄しているんですよね。街生まれの主人はこれを聞くなり気違ぇ(ポリコレ)出すわけですが、私、そんな悪いこと言ってる? まさか都会生まれというだけしかアイデンティティのない人に配慮してるとか? いや、まさかご冗談でしょう、東京生まれだってのにそんなに何にもできない恥ずかしい人なんて、いるはずがないです。ねえ?^^
きれいな言葉で育った若者の心がうるわしいかというとだいぶ病んでいるという、ある種の人々にとって不都合な事実がそこにあるように、社会に蔓延する管理意識っていうのも、もう既にゆがんだものになりつつあるのではないかと思うのですよね。
私は中小企業ばかり回ってきたけれども、孫請けのそのまた孫請けレベルの会社に勤めた時には「ここ……本当にトーキョー……?」と思っていました。
東京は地方民が流入する田舎者だらけの土地だから仕方がないのですが、社員を相互監視するシステムがすごくて、完全に村社会でした。それが恐ろしくて一年も経たずに辞めてしまったのですが、社員にプライバシーなどというものが、特に管理意識の高い人々には存在していなくて、私のこともずいぶん知っておいでのようでした。
社員が会社にある程度管理されないとまずいというのは日本の企業特有の判断基準ですが、これは高度経済成長時代金の卵銀の卵の名残の習慣です。農村の次男坊三男坊が口減らしのために中卒高卒で大企業のライン部署に配属され、工場の歯車となって人生を捧げる。正しくは定年までの30年超を捧げるのですが、企業はその見返りとして、社宅に始まり事実上職場結婚の斡旋や高品質の福利厚生などなどを社員に与え続ける、そういったことが昭和の中期から後期にかけて盛んにおこなわれていたわけです。
今でも、古い業界では大手やそれに倣った企業は「……ここ保育園かな?」的な行事を残している例があります。のんびりとした環境ですが、考えてみたら、15や18で親元から引き離され知らない土地に就職する子って、そこの社長から「私をあなたのお父さんと思いなさい」的な働きかけをされることが肝要になってくるんじゃないでしょうか。
話がずれました。戻します。
その立場でもないのに他人を管理したがる人々ってのがこんなに多い国。
平行作業としてマウントをかけるってのが特徴ですね。
自分はお前を管理する立場だから、お前より偉いのだ、という理屈です。猿です、猿。山猿です。はずかしい。
ところが、この感覚が全然恥ずかしくない人々、疑問に思わない人々ってのが若い人にもいくらか出てくるわけで、彼らの理屈からすると、「対等の立場で管理される方が悪いので、悔しかったら相手の情報を抑えて仕返しをすればいい」というわけです。
いやそれは相手を仕返し時空というか、仕返しリングに上げたいだけじゃん、あんた。
「何かそれ別に高度経済成長関係なくて、うちは江戸の時代からずっとここにいますけどね、長屋文化じゃないですか?」とかいう意見もあります。
うん。そういう理屈もあります。だから、一部の保守層で危険な人々がいる(極右とは限らない)という噂は、本当なんでしょうね。保守というものは、守るものがあるということ。ただ、その守らねばならないものが彼のEQスペックを越えている場合、どうなるんだろうか、という問題。私たち一般人には手も口も出せないことですが、彼らはかなりストレスを抱えているんじゃないでしょうかね。
そういった人々の慰めのために、管理社会のオモチャ化現象は起きているんじゃないでしょうか。ポリコレが、世界の一部の特権階級人々の、意識のアクセサリー化の具現であるのと同じように(あれは別段、生きづらい当事者のための活動じゃないんですよ、何もかもを持っていて、何でもできる人々のアクセサリーなんです。でも、実際そんなアクセサリーだったとしても、当事者がすこし元気になるならそれでいいんじゃない? という、普通の人のおおらかさで成り立っている活動だってことを、意識の尖った人たちが自覚することが肝要なんじゃないかなあ)。
同輩への管理意識が高すぎて、自爆してしまう人もいたりしますね。若いころの話ですが、傍目にぶっ壊れた恋愛を引きずっている人とかいて、これは、とか思っていました。
ちょっと精神的に不安定な人で、簡単にいうと自分が目をつけた人が好きだった人を、自分も好きになってしまったってことです。で、その人の中では最初に目をつけた人は「仲良くしたい人」→「管理しなければならない人」→「恋敵」に鮮やかに変貌を遂げてしまった、と。
中学生の友だちの取り合いみたいな行動を、成人してからやる人っているんですね。その不安定な人は管理ファイルをたまたま持っていたので、たぶん、いろんなことを知れたんでしょうね。
仲良くしたい段階で、ちゃんと「仲良くしよう」とやれない(多分、興味を持ってもらえなかった)から、あきらめきれずに管理ファイルを開く。すると、自分がマウント取れる項目はいっぱいあるわけです、「あいつコーソツじゃん、あいつ清純ぶってるけどビッチじゃん」と。
めんどうくさい話ですが、コーソツビッチの好きな男を自分も好きになってしまったことは彼女の中では不都合なんですね、つまり。そういったしょうもないプライドが邪魔をする、と。
で、じゃあその同輩を出し抜いて自分がその男性とうまく行くかというと、それは違うと。空回りのあげく、まあ、終わったと。もともと不安定な人でしたので私も深入りは避けていたんですけれど、今はお元気かなあ。あんまり昔過ぎて顔ももう覚えてないですが、たしかけっこう可愛らしい人でした。
管理意識は社会ではけっこう重要なファクターだったりするのですが、なんでもかんでもどんな人にでも適用しまくると、かなり頭のいい人でも自爆する。
だから、本当に地頭のいい方々は、専門の仕事以外は敢えて諦め、専業の世界に特化するケースもあるみたいですね。マルチな才能なんてあまりご自分でも期待していないと。
何でもできる人は世の中にたしかに存在しますが、そんな人は数は多くはないってことです。
こういう「マルチタスクな人類が増える」という信仰は正直カルト宗教的に厄介なので、私は入信すべきじゃないと思いますが、日本は信仰の自由は保障されているしなあ……、あなたは、どう考えますか?
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by kou_ten_nen
| 2024-04-30 01:51
| 日記、雑記



