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[研] 安部公房 『壁』 新潮社文庫

H24.11.27読了。

記念すべき読書感想第一回はこの作品。
昔の作家というのは文章力がものすごく高くて、しかも探究心に富み、その上で読者を楽しませよう、面白がらせようという意欲が相当にあったのが素晴らしいし、そのいたずらっ子みたいなサービス精神につい頬が緩んじゃいます。

で、この安部公房(1924-1993)という方は、淡々とした緻密な、しかし都会的な切れ味のいい文体を武器として、不条理で不安定な人間の心を見事に掻っ捌いている(東大医学部出身だったそうですが)怪物のような作家です。
この本に収録されている作品が初出した昭和25年とか26年とかいう時代は、まだ戦後の焼け跡が残っていた時代で、引き揚げとかGHQとかがよく話題に上がっていたような頃でした。ところが、一度開いて中身を見ていると「これ昭和50年代初めくらいの作品でしょ」とか思っちゃうわけなんですよね。流石に平成の今の時代と比べると少し古いかな、と思える情景であっても、舞台が架空の世界に飛ぶと、もう今の若手が書いたものと描いた世界に区別がつかなくなってしまう。
同作家の名作『砂の女』でもそうなのですが、ともかく砂漠の砂の表現とか書きあらわし方とかが非常にリアルである半面夢幻でもあり、鮮やかに思えながらもどこかぼんやりと輪郭が砕けている、そんな奇妙な「触感」に戸惑うんですよね。これは、後世に膨大な数のファンが出てきたわけです。

優れた作家の名作と言われるものは、時代を越えて人々の心を捉えます。なるほど例えば紫式部の『源氏物語』の出来事や登場人物は今の世の中には存在しないってのは誰でも知ってる。しかしあの世界に描かれた繊細でその上艶やかな美しさ、しっとりとした感情の行き交い、夫として妻として、そして親として恋人として、それぞれの人々の心の動きというのまで昔風なのか、今とは何の共通点もないのかというとそうでもないんですよね。六条御息所のあの激しく仄暗い怨念であるとか、末摘花のときめきであるとか、今でも結構共感できる部分があるんですよ。

安部公房はつい20年前まで生きていた方なので(というかもう20年になるんですか。10年ぐらい前に鬼籍に入られた方だとばかり思っていました)もっと現代的だし、私たちにはわかりやすいのです。
全体に見られる夢の中のように落ち着きのない、様々な象徴。殆どを意味のない産物だと読み飛ばしてしまう瞬間もあれば、なんだろうと一字一句気を張って読み進めることもある瞬間もある。でも私の読みムラというのは、ラストで全部「ああ、作者に見透かされていたのか(´・ω・`)」といたたまれない恥ずかしさをも呼び起こしてしまうのです。こういう本当に作家として怪物みたいな方がまだ生きていらしたら今の呆れた世の中をもっと面白く描いてくださっただろうに、と悔やまれてなりません。

安部公房に影響を受けた作家一覧なんてのがあると、多分相当数が該当するんじゃないでしょうかね。ともかく面白いもの全部やったわと声が草葉の陰から聞こえてきそうな気もするくらいです。
安部が影響を受けたとされるカフカの『変身』も読んでいるのですが、どうでしょうね、骨組みだけ影響を受けたのかもしれないです。何か情の絡んだおかしみや切ない笑いのようなものは安部独自ですからね。勘違いなんかを面白おかしく書いたのはO.ヘンリーの短編なんかが有名ですが、あれとも全然系統が違うようですし。

「S.カルマ氏の犯罪」:悪夢を忠実に文字に起こしたらこういう世界なんだろうなと思います。文字の世界に溺れつつも、気が付いたら圧倒的な意味の混乱を整理しなければならず、どこから手をつけていいか分からずに私などは途方にくれ、しかもなんだか、その途方に暮れるのがどこか自分でおかしくなってくるのです。そもそもカルマ氏は実に平凡でつまらない欲求しか持っていないんですね。Y子とずっと仲良くしていたわけです。でも彼女は不条理の洪水のかなたに消え、名前をなくしたカルマ氏はただ無駄に壁となって--それは誰でも見え、誰でも目標とし、誰でも打ち壊そうとするものではないかというあの壁と同じではないのかという不安を私などは掻き立てられつつ--成長を延々と続けていく。これで物語はあっけなく、しかし見事なキレでもって終わります。

「バベルの塔の狸」:最初に気付いたことは、これ感想とは関係ないんですが、昭和25年のこの時代で既に詩人というのはこの国ではまともに飯を食えなくなっていたんだ、という事実の把握でした。
詩でご飯はなかなか食べないと聞きますが、実際ずぶの素人でも簡単に書くことだけはできるのですから、識字率とともに価値もそれは下がろうというもの。日本は昔から識字率は高かったのですから、確かに詩人は一時期ブームになったとしても恒久のベストセラーは期待できないですし、いろいろ工夫なさってるみたいですよね。でもこの物語のキモは「現実を知れ、そして納得がゆかずとも愛せ」という身も蓋もないような作者の言いたいこと(≠テーマ)ではないかと思うのです。
シャミッソーの『影をなくした男』(岩波文庫)と読み比べても、面白いですよ。

「赤い繭」:やや若い時期に書いたものを溜めておいたものなのか。少し構成に凡庸なものが目立つ。多分安部の代表作がそれだけ計算をし尽くされて、しかも印象深く描かれていた様子が余りに強烈なのでこれが凡作の羅列みたいに見えてしまう人もいるんだと思う。実際SF短編とか、この手のもの結構あるし、高校生でも考え付きそうなネタと展開が多いから。なんて思うのです。

で、安部作品はまだ「箱男」が積読の中に入っているので、どうするかが今後の課題です。


(多分)数多出ている安部公房研究書籍をまったく読んでいないので的外れな部分も多いと思いますが、とりあえず私の研究がてらの感想です。

(安部公房『壁』 新潮社文庫)

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by kou_ten_nen | 2013-02-19 22:33 | 読書

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