好・典・然 ふっかもふ。

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ふっかもふな日常。

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久々に書く自分を認識する

はたりと書ける瞬間を感じると、私はいつでもパソコンを立ち上げます。

真夜中だろうが、明け方だろうが、帰宅直後だろうが。


このムラっ気が女特有なのは知ってる。でも、風呂上りでまだ髪が濡れて寒いのにとか、よそったごはんを脇に置いてでもとかなると、ちょっと文章さんについて少しイカれているのかもしれません。私はそっちの方向の人間です。

書くということを好む人は大別して、非常に頭のいい人が手慰みの延長で書くという例と、何もかもあまりいい成績ではなくてそのダメな自分でも生きていかなければならぬための一種の人工声帯の役割を果たしているのかなという例と二つあります。
でもこれ、簡単に「才能」って言葉でごまかされちゃうんですよね。
おまけに日本ではお勉強が出来ることを「才能がある」みたいな表現をする人もいて、「アタマイイ=才能ある」に「特殊なことを苦もなく出来る=才能ある」の区別もつかないことだっていっぱいあるのです。かくて「小説が上手=知能指数が高い」という何のフォローにもならぬ解釈がまかり通ってしまう場合もあり、どうかすると「バカは小説書くな」ってアホらしい論調の根拠にもなってしまうわけですが。

いやねえ、勿論プロの作家にも、昨日の安部公房もそうなんですが大変優れた学歴の方もいっぱいいらっしゃるわけなんですけどね。歴史が古くなればなるほど(一般的には)そうです。本に興味を持てる人は子供の教育に興味のある、子供の教育に金を使えるミドル層より上の家庭で育つってのが戦前は一般的な認識でした。
ただ基本小説って誰のものでもありません。誰でも、好きなものを好きなように書いていいんです。発表のときは少しだけ口煩い各種団体に配慮して気をつけなければならない場合もないことはないのですが、少なくとも、書くだけならとっても自由です。

ただ、自由って言ってもそこは作者だけのワガママが通るわけではなく、読者たる第三者にも同じことが言えるのがおかしいところなんですが。……ああ、言いたいこと分かりましたか。ええ、そう言いたいんです私。

私はねえ。

そんなに立ち回りが上手でもないし、人にお上手を言って回るのもへたなので、あんまり生きるの上手じゃない自分の手にしてるアイテム、みたいな扱いであるのかもしれない、と思います。小説のこと。
でもべつにそれがなくなると死ぬわけじゃないってのもよく知ってるので、ここ数日ネットで繰り広げられてる才能の是非をぼんやり見て終わるわけですが。

まあ、眠くなったのでもう寝ます。
早いけど。

今日は疲れたなあ。明日会社行けるかな。ちょくちょく具合悪くなっていかんのだけど。
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by kou_ten_nen | 2013-02-20 21:35 | 創作