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好・典・然 ふっかもふ。

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ふっかもふな日常。

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家計簿整理ほぼ終了

この頃一週間で一番大きなことは、大雪と家計簿整理かな、と思います。

例によって溜めていた書類の整理ですが、二年分の集計作業がついに終わり、だいぶ身が軽くなりました♪

手帳と家計簿と日記の三種類が、私がその日にあったことを書き込む大事な資料なのですが、こうやってみると私はアナログ人間なのだなあと思います…。

…で。

終わったので、次は書籍整理かなーとか、二年前と同じことを企てていたりもしますが、これはどうなるかな。

最近、あんまり小説とか読んでないのですよね。研究書とか、伝記とか、そういうのばかりで。でも買ってる積読本は圧倒的にフィクションだらけなのです(^^;



何かをやってないと、すぐテンションが落ちてしまう。
何かをやって、それでやり遂げて、ちっぽけな自信をつけて、すぐ次の頑張りにつなげないと、不安になってしまう。
何にもしなくても平和だった自分が、ずいぶん変わったなあと思います。
今日も職安から応募したところの不採用通知が来て、そんな生活を送っているせいかもしれませんが、いずれにせよぼちぼちって感じでやってくしかないんじゃないの、ということで、なろうにもあげずに個人的に楽しんで書いている小説の読み直しや校正をやってみたり。


25日の雪はまだ、日蔭の隅っこに小さく溶け残っています。
家計簿整理ほぼ終了_f0251624_23335290.jpg

# by kou_ten_nen | 2016-01-27 23:34 | おうち書類のおかたづけ
死にかけたと思ったら息を吹き返し、だらだら続いている日記ですが、これはひとつは主婦って側面があるからなのかもしれません。

いえいえ、私だって「おしゃれなカフェでおいしいケーキとコーヒーです!」ってもう少しやりたいです。
「海外旅行でこんなことありました!」も憧れです。

ですけれどもね。


なんというか、非日常を集めてしまったら、永遠に非日常が日常になってなきゃいけないって錯覚に陥りませんか? …ああ、陥らないですか、でも私はそうなっちゃうんですよ、本当に。

そういう今一つ残念な私にとって「主婦」って立ち位置はとても便利なんだと思います。
今大好きでずーっと使っているウォークマンのコガネムシくん(←今名付けた)くらい便利です。

朝が来て、主人を見送って、洗濯して、あるいは布団の中でもう少しうつらうつらして。
出かけて、買い物して、夕飯を作って、そして主人が帰ってくる。少し本を読んだり、ネットで遊んで、眠くなったら寝る。
正社員として働いていても、パートになっても、無職でも、あんまり大きくは変わらない生活。洗濯は主人が忙しくてやれないときだけですけどね。
私よりものんびりなのは、せいぜい「きらきらひかる」の笑子さんくらいだと思う(・w・)



秋の終わり、おうちで咲いたバラです。
素敵なので記念に写真に収めておきました。
主婦をやっていてよかったこと、悪かったこと_f0251624_112635.jpg

# by kou_ten_nen | 2016-01-15 01:01 | 日記、雑記

手帳の切り替え

毎年11月30日は、手帳の切り替え日です。

手帳だけじゃなくて、日記も、家計簿も切り替えます。


なんでこんな半端な時期にするの、というと。
家計簿を一番最初に始めたときの月が12月だったから、と記憶しています。

正しくは11月25日とか、28日とか。当時勤めていた会社の給料日だったか何かに合わせたんでしたっけか。もう昔のことなので覚えてないです(^^;

それで。

相変わらず、全然整理が終わりません。

最近忙しくしてしまっているせいですね。あとは体調を崩したりとか。


…はて、何のためにパート勤務に切り替えたんだっけ?(*_*)



悔しいので、最近はウサギのぬいぐるみと戯れています。このぬいぐるみは私よりも主人が気に入っているようで、どうやらウサギで私をいじるのが楽しいらしいです(へ、変な人…)。

このまま、ヌイグルマーの称号まで持ってしまうんでしょうか。
謎です。
いよいよ、わからなくなってきました。



…あ。

そのぬいぐるみですが、残念ですがびっくりするほど粗雑な縫製で「こんなのが売り物なってたんだ」と笑うような作りですので、不憫なので晒しません。でも時々静岡の田舎で流石にもう少し作りのまともなのが売っていたりします。

まあね、うちの子はあまりほかの子と比較もせずにカゴに入れちゃったし。女子高生のカバンにつけるレベルで、ちっちゃいし。


もう一言。

ウォークマンデビューしました♪(・w・)

これで私も立派なハルキスト…なわけでもないです。

ただ、音楽が楽しくて楽しくて、今は通勤時間帯には毎日聴いています。
難聴になる日も近い…(?)・w・)
# by kou_ten_nen | 2015-11-30 23:33 | おうち書類のおかたづけ
本日H27.7.3読了。もう少し煮詰めてからアップしたかったのですが、どうしても今日書きたくて。


久しぶりに読書文の投稿です。
いやはや、今から思うに、もう少し早く読んでおくべきでした。
トルストイの作品は『戦争と平和』が有名ですが、『アンナ・カレーニナ』もまた代表作の一つです。
この作品は最近ではロシアの女子フィギュアスケーターのリプニツカヤ選手が愛読書として挙げていますが、いくらなんでも十代の女の子には少し早すぎる内容かな、と、とっても簡単な光文社新訳文庫を読んでも思ったのでした。
私なら文筆趣味でもない限り、読者の対象年齢は30~40代で、できれば既婚女性を想定しますね。『戦争と平和』のほうはもう少し若い人が読んでも大丈夫だと思うのですが。
魅力的な貴族の夫人アンナは、若い美貌の将校ヴロンスキーに出逢い、道ならぬ恋に堕ちる。彼女の恋の行方は……、という内容なので、ちょっとゴシップ的な興味を持つ人が食いつく話かな、とも実際思うのですが、トルストイは文豪です。文豪ですのでただのゴシップ話では終わらせるわけもありません。

この小説はアンナの絶望的な恋物語と二本立てで不器用な青年リョーヴィンの成長物語も描かれているのです。
トルストイやドストエフスキーといったロシアの文豪は、不器用で自意識過剰で感性鋭敏な若者を描写するのがともかく上手です。このリョーヴィンという青年も、内気で要領が悪くいこじで頑固で実際には保守的なのに若者らしく進歩的なものを見たがり、鬱陶しいまでに自己や自己の抱える様々なテーマを頭の中で逡巡し、無節操なモノローグを物語中にまき散らす天才です。作中で他の登場人物や或いは地の文で何度か彼の明晰な頭脳について触れられていますが、このフォローがなかったらいわゆるちょっと残念な人、というレッテルすら貼られかねない人です。
リョーヴィンとアンナはどういった関係かというと、まず、アンナの兄にオブロンスキーという人物がいます。この奥さんはドリー(ダリヤ)という女性で、ドリーに二人いる下のほうの妹がキティ(カテリーナ)といい、このキティの夫がリョーヴィンとなります(物語の開始ではまだリョーヴィンはキティにプロポーズすらしていません)。つまり親戚関係ですね。
ところが、昔の貴族社会ではありがちなことなのですが、いくら親戚同士とはいっても、交友のある人とない人はいるわけで、作中でアンナとリョーヴィンがきちんと対話をするのは一度しか機会がないのです。二人を取り巻く社会はそれぞれ異なっていて、アンナがヴロンスキーとの恋愛により社交界を追い出され、孤独になっていく一方で、片田舎で要領の悪い地主生活を送っていたリョーヴィンは憧れのキティと結婚を遂げ、息子も授かり、よい親戚の中で多くを学んで次第に幸せを掴んでいくのです。

物語のタイトルではアンナが主役のように描かれていますが、ストーリーの始まりも締めくくりも、ほぼリョーヴィンサイドが展開されていますので実質この物語は『コンスタンチン・リョーヴィン』であるべきではないかと私は思うのですが、これがまたそういった意味のお話ではないのですね。
物事は、当たり前のことを当たり前に接していたのでは、人は大抵の場合、何にも気づきません。一分間に何回呼吸するかも、空気の成分も、気温も湿度も、「はた」と気が付く瞬間がない限り私たちは意識しないのです。
当時のロシアの人々がリョーヴィンサイドの物語だけ読んだら、何の感動もなかったのではないかと私は思うのです。なぜならばリョーヴィンの思索は深く堂々巡りを続けていて大変に面倒くさくしかも空の雲のように刻々と姿を変えていきます。読み方によっては退屈な人物のありきたりな行動を描写しているだけで何のドキドキ感もありません。
そのドキドキ感がないのがロシアの日常であり、ありきたりの平穏なのです。その平穏はどのように人々が認識しているのか或いは空気として消費し続けているのか、人々は己を振り返るようなことはないのです。
しかしアンナの存在は、非日常です。物語でロシアの日常を代表する常識的人物として位置づけられているのがリョーヴィンの義姉でありアンナの兄嫁であるドリーなのですが、このドリーの深い友情をもってしてもアンナはどうしても浮いてしまう存在です。アンナの恋愛は常に力強い自由であり、その感覚は時代を間違えた自由であり、それがアンナを滅ぼすのですが、ドリーはアンナを深追いせず、また恨むこともしません。それでいて、ドリーを、リョーヴィンを、キティを、総ての人々を包み込む、アンナのいない終盤の空気は何と美しくのどかなことかと感動を覚えるのです。

アンナは悪女だったのか、という議論もあります。
しかし何でもそうですが、時代を間違えた人というのは得てしてその場ではひどい汚名を着せられたり罵られたりするものです。しかし21世紀の今、アンナ・カレーニナの生き方を選択するような女性はむしろ古典的で少数派です。なぜなら現代のわれわれならすぐ気づきます、物語中で本当に何度もやり直す機会がアンナにはあったのです。ヴロンスキーはどんなに美しく優秀でも、夫とするには足る器がなかったこと。あまり容姿の良くなかった夫のカレーニンは、しかし誠実で真面目な人物であったこと。ヴロンスキーとの生活は浮ついて贅沢なばかりで、全く現実感や落ち着きがなかったこと。
この貴重な数々の経験からくるたった一つの回答を壊れていきながら悉く無視し、最後にドリーと物別れに終わった瞬間で、もう彼女には何も残っていないことに読者は気付かされます。

私はこの読みやすい、光文社の古典新訳文庫しか読んでいないのですが、作者トルストイは第四章あたりの段階で早くもアンナに嫌気がさしていたのではないか、と少し思うのですね。ヴロンスキーとキティの描写にかなりの差が出ていることからもちょっとそれを感じてしまいます。
個人的な好みを言わせてもらえば、私はどうもこのキティは好きになれません。悪い子ではないしリョーヴィンには意外とお似合いなのですが、ちょっと見かけだけの落ち着きのない末娘といった感じで、このキャラクターは『戦争と平和』のナターシャにも通じる可愛らしさなのですが、もうここまでくるとトルストイの好みなのかなーとか穿った考えに至ります。
ヴロンスキーも、本来はただの愛人の立場ですのでもう少し単純な人物塑像であったはずなのですが、物語の都合上、いろいろと後手後手で練っていった感じがして、どうにも安っぽい(アンナサイドの物語で、アンナが作者の当初の予想を超えて勝手に動きすぎた結果かなとは思いますが)。そしてヴロンスキーにトルストイの筆は、冷たい(笑)。
しかし、アンナは物語の骨子を成す大事な人物なので粗末には扱えない。そういった苦悩が《解説》で訳者の望月哲男氏が「複数のプラン/複数のアンナ」の中にトルストイのこっそり思考としてちょっと忍ばせていたかどうかは、私は知りません。知りませんが、そうだったら面白いなあと思うのです。


なお、この長編小説において私がもっとも心に残った台詞を最後にあげて、今回ちょっと長くなりましたが読書文を終えようと思います。理由は敢えて書きません。
三巻、第六部16章。心から血を吐くような、ドリーのモノローグです。

「これはすべて何のためだろう? こんなことをしていて、いったいどうなるのだろう? わたしのように、ひと時も休むまもなく、妊娠して、授乳して、いつも苛々して、愚痴ばかり言って、自分も苦しめば人をも苦しめて、夫に嫌われて一生を過ごした結果として、育ってくるのは不幸な、育ちの悪い、貧しい子供たちじゃない。(中略)結局わたしは自分の力で子供たちを一人前にすることはできないで、卑屈な思いをして人の世話にならなくてはいけないのよ。いちばん幸せな場合を想像してみても、もう一人も子供を亡くさないで、何とかわたしが育て上げることぐらい。せいぜい子供が不良にならないくらいで上出来だわ。それくらいがわたしに望めること。たったそれだけのために、どれほどつらい、苦しい目にあってきたことか……一生が台無しだわ!」

レフ・トルストイ/望月哲男 訳『アンナ・カレーニナ』光文社新訳文庫

# by kou_ten_nen | 2015-07-03 23:41 | 読書

誰も好きじゃないのなら

最近になって、どうやら私はネット発のかなり激しいいじめの被害を受けていたことがだんだんわかってきました。
人の対応が急に冷たくなったりしてSNSがつまらないな、と思ってはいたんです。
それどころか、去年あたりか入った会社の人の態度がどうもおかしい。ネットで結構ひどいことを言われているのを、見ていたようなんですよね。
今の会社の人たちもやっているかは知らない。でも正直何人か、関わりたくない人ってのはいます。
(読んでるかもね。でも私、謝らないよ)

どうもかなり陰湿なグループに根回しをされていたらしく、それに気づいた別のグループが応戦みたいなことをしていたりとかして、彼らは力がある人々なので、もはや私の意見は空気も同然(^^;)ただの駒に成り下がってしまっているようです。

それでも、私は私でしかない。
だあれも好きじゃない。今いる人たち、私の周りにいる人たち、本当は。
誰か好きになりたいですけれども、もうそういう時期じゃないので。

表面だけのおためごかしじゃなくて、信用したいし、信用されたい。
当たり前にできていたことができなくなったばかりか、今晩も知らない人に散々陰口とか叩かれているんだろうなと。すごいんだろうな、魔女裁判とかレベルの憎悪とか。
そんな人たちと意志の疎通なんて、あきらめたほうがよいのよ。


でも私、こんなひどいことされるなんて、思ってもみなかった。
どこに訴えたらいいのかな。本当に。
# by kou_ten_nen | 2015-06-03 01:06 | 日記、雑記

by kou_ten_nen